戻る 日記 2005年11月


過去の日記
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11/28
アシ。色塗り。
いろいろ試したが結局塗りつぶしを用いることになった。
明日は、蛍光色を発しない絶妙な色の選択をしなければならない。
和風の色目はRGB値だけでなく、プリンタとの誤差も計算しないとなかなか雰囲気のある色合いが出ない。
あえてくすんだ色を画面上で出しているのには少し勇気がいるが。

11/27
高千穂行ってきた。
あわただしく過ぎた一日。
高千穂牛の美味しさがまだ心に残っている。
友達の子供は何とも可愛らしかった。
こっちが微笑めば微笑み、起こった顔をしても微笑む。
おもちゃのサッカーボールにたいへんな興味を持ってくれた。将来はサッカー選手?

11/26
明日は高千穂行き。
スーパーユーロビート、すぐ飽きると思っていたらだんだんお気に入りが増えてきた。
延々と続く、同じリズムにテンポ。
しかしどんどん乗ってきて体が動く。
今までは、流れるようなメロディーの音楽ばかり聴いていたので、ビートを刻む音楽の中毒性を知らなかった。
クラブやライブハウスで、音楽に乗って踊っている友人達を見て、自分はあんな風にはできないと思っていたが、今なら誰より早く踊りだしてしまいそうだ。

11/25
スーパーユーロビートを聴く。
お店でかかっているようなCDだ。
ずっとパラパラダンスっぽい音楽が続いている。
ノリノリで楽しいが、休息なし。
でもついついCDをかけてしまう。
「I believe in you」を聴きたくてレンタルしてきたのだが、そのCDには他にもなかなかの曲があった。

11/22
今日は目が疲れた。
朝も早くに起きたので、よけい。
早めに寝たい。
最近スーパーユーロビートのシリーズに興味がわいてきた。
なにしろvol60まであって多いし、とっつきやすそう。
vol07に好きな曲があるので手に入れたい。

11/21
来週の日曜は高千穂日帰り旅行。
大学時代の友達の子どもを見に行く。
その子はどんな世界を見ることになるのだろう。
どんな夢を持つだろう。
どんな特技を身につけるだろう
いい友達、優しい恋人にめぐりあえるだろうか。
どんな仕事につくだろうか。
などなど、話は尽きない。
是非22世紀まで長生きして幸せになってほしいものだ。

11/20
高橋Qちゃん見事優勝。感動しました。
優勝した後のコメントも素晴らしかった。
実況もインタビュアーも半泣きでした。
この二年間、苦しかったに違いない。
陸上をやめようとも思ったと。
しかし、彼女は市民マラソンの小さなイベントなどにもたくさん参加していたし、トップアスリートでいながらも身近な存在だった。
誰でもその気になればあのQちゃんと一緒に走ることができた。
だからこそ今日の優勝はうれしい。
是非北京へ行ってほしい。

11/19
完了。
今回は間違いが見つからないかちょっと心配。
画面が白いと不安になる症候群。

とりあえず明日は日曜。久しぶりに外へ出よう。
今日テレビに出た街のお店が気になる。
高橋も応援しなければ。

11/18
アシ明日完了。

高橋尚子復活なるか!と期待していたら、故障をかかえているとの発言。
フルマラソンは、心身ともに完璧に充実していないと難しそうな競技だから、ショックだ。
小出監督もいないし、足の肉ばなれは痛い。
しかし、そんな苦しみに耐えながらも素晴らしい走りを見せてくれるに違いない。
感動の涙をとっておくとしよう。

11/17
先生がお風邪を召されているので、いろいろ工夫して先生の分は早めに作業が終われるようにする必要があった。
あと二日は、何とか自分の体調を健康に保たなければならない。

11/16
サッカー日本勝った。
いきなりフランスで活躍し始めた松井の出現はうれしい。
高原と柳沢があまり点を取ってくれない、点を取りそうにないというのが気になる。
ロベルト・バッジョが言っていた。
ゴールを前にした瞬間、自分はいつも難しい方法を選択する。
一見簡単な方法よりも、常に難しい選択肢を選ぶことで、いざという時には、特に世界を相手にした時には、相手に読まれにくいプレーが可能になるのではなかろうか、などと考えてもみた。

11/15
今日は結構めでたい一日。
紀宮さま披露宴は意外と地味で、天皇ご一家がまるで普通の新婦の父、母、親類のようにテーブルに並んで座っているのが新鮮だった。

アシは下絵。

11/14
我が家の猫はもう十年以上生きており、知恵がついて人間のようだ。
人間が大事にしている物を知っていて、エサをやらないで放っておくと、机からその大事な物を落としたり、録音中のラジカセをストップさせたり、さまざまな作戦を使って脅しをかけてくる。
叱ろうとすると、30センチ四方くらいの小さな箱に入る。その小さな箱は、どうやら安全が保障された区域を意味するらしい。そんな法律を勝手に作って勝手に施行しているのだ。
そんな様子を見ると、ついつい叱る気が失せてしまう。おかげでますます猫は自信を持って、その安全地帯を根城に行動するようになり、今や箱の中に寝泊りしている。

11/13
学会で10万人第九大合唱。
有名な部分だけでなく、第九交響曲の第五楽章を本格的に。
これだけの規模の第九は人類初めてではないか。
ベートーベンは、音楽の世界の英雄。
耳が聞こえないという苦難を乗り越え、あれほどの名曲の数々を作った。
人間が苦しみを乗り越え、勝利していく姿は、否応なく人の胸を打つ。
私の考える天才というのは、偉大な苦悩を与えられた人、という意味だ。

11/12
12月にロベルト・バッジョDVDの2巻が発売されるらしい。
1巻もたいへん充実した内容だった。
絶望的なケガから幾度も立ち直り、戦い続けたバッジョの姿に、一体どれだけ感動と勇気を与えられたことか。
右ひざの靭帯断裂。長年の戦いで、右ひざの内側半月版はこなごなに砕けてなくなってしまい、外側だけがかろうじて残っていたという。
ほとんど一本半の足で彼は実際去年まで活躍していたのだった。
彼のゴールの一つ一つには、そうしたドラマがある。
それを思い出しながら見ると良い。

11/11
この難しい気候のせいで体調がすぐれないが、だんだん良くなってきた。
生まれつき体が弱い、体格が貧しい、苦しい持病、こういった事柄は幼い頃から、たいへん重々しい現実として常にのしかかってきたものだ。
だから、厳しい現実との格闘、それが自分の創作における一つのテーマになっていくと思う。
もやもやした、まやかしの物語には、自分はリアリティを感じない。
しかし、人生の道程に、充分な闘争の足跡と、それに伴う歓喜があるならば、その人生は深い詩情をたたえずにはいないだろう。
詩、歌、それこそ勝利者がその身に帯びる尽きせぬ芳香。
昨日も、今日も、そして明日も、私は歌い続ける。

11/10
絶望的な困難を克服する。
苦悩を突き抜けて歓喜に至る。
人生の勝利者となるのは、戦い続けた者だけだ。
敗北はいともたやすい。
敗残の兵に、語る口は与えられない。

11/9
飲み。
酔って頭がグルグル。地球の自転にふりおとされそうだ。
今もまだ少し目が回っている。

11/8
黄砂が降ってるらしく、喉の調子が悪い。
11/7
テレビでニュースが流れる時間帯、うつらうつらしていたら、不思議な感じになった。
意識ははっきりしていて、ニュースの音声を理解して聞いているのに、見ている映像は夢の中の映像である。
夢の中では、日本代表の新ユニフォームは紺のベースに胸に大きな赤いサッカーボールのマーク。その他諸々のニュースもまったく本物とは違う夢の映像。
しかし、そのニュースの音声を、同時どころか先行的に、実にリアルに映像化しているので、場合によってはそれが夢だったということにさえ気づかなかっただろう。
目が疲れると、時折目をつぶり、自分が日頃目にして慣れているもの、部屋の中や遠くの景色などをなるべくリアルに再現しようとする。まるで本当に見えているかと錯覚するほどに。そんな遊びを繰り返していると、何となく、物の色や形が真っ白な紙の上に、描く前からそう描かれるべくしてあったかのようにあぶりだされて見えることがある。それはあまりにも鮮明なので、トレース台さえいらなくなるほど。

11/6
今日は作業完了。
朝大雨が降ったが昼前にはやんだので、ずぶぬれにならずにすんだ。

11/5
今日も作業。
もうお一人の方の息子さんが高校サッカーの大会でPKで負けたとのニュースが入り、残念。
PKは辛い。
ロベルト・バッジョを思い出した。
アメリカワールドカップで蹴った最後のPK。
ちょうど木星に小惑星が衝突した、数千年に一度の宇宙ショーとほぼ同時刻。
ボールは無情にも、ゴールバーの上を果てしなく飛んでいった。
ブラジルの選手達は、あれは亡きアイルトン・セナは空からボールを引き寄せてくれたのだと喜んだ。
その時のイタリア代表キャプテン、フランコ・バレージは言う。
「あれほどの重圧と苦痛を一人のサッカー選手に負わせるのは、あまりにもむごい。人間の精神が耐えうる限界を超えていた。」と。
だが、ロベルト・バッジョシンドロームにかかった者の大半は、あのアメリカ大会に始まっている。
無上の歓喜と、壮絶な苦難に満ちた、あまりに劇的な交響詩が完結した瞬間だった。まさにあれは、人生そのものだった。

ロベルト・バッジョがいないサッカー界はやはり寂しい。
もうあのような選手は出てこないだろう。
引退間近の頃になると、バッジョのプレーはもはや神秘的でさえあった。
バッジョにボールが渡った瞬間、スタジアムの時間が止まる。
悠々とドリブルする彼を、誰も止めることができない。彼はただ、ゆっくりと、前進しているだけなのに。 シュートを放つ右足の美しさに、敵ゴールキーパーも思わず見とれ、誰もが彼と同じ時代を生き、同じピッチに立てたことを光栄に思ったという。

11/4
今日は調べものとかいろいろな作業。
仕上げは明日あさってまでかかる。

タブレットやスキャナが老朽化してピンチ。
スキャナはなるべく薄っぺらいのがいいと思う。今持ってるのは巨大すぎる。

サッカーの、ロナウジーニョのスーパープレイを集めたDVDが出たらほしい。是非とも日韓ワールドカップあたりから詳しく。
ちょっと前の背中スルーパスは驚いた。それと、あのユニークなよそ見パス。見たこともないようなドリブルフェイント。まるで大道芸人とか、サーカス団員とか、クルクル舞の海のようなパフォーマンスだ。普通にプレイするのは飽きてきたから新しい技をやってみようという心の余裕。しかもそれが成功し、ゴールにつながる。
彼は一体どんな練習をしているんだろう。

11/2
20ページまで完了。あとはあさってから。

今のお絵かき掲示板を使っていて、色を塗る機能に不満があってとっつきにくいので、前のを使ってみたら、結構水彩画っぽく塗れた。ただ、間に出会い系サイトのバナーがちらつくのがどうしても気に入らないので、新しいところを見つけた。そのうち移行しようと思う。

11/1
吉野家のけんちん汁は、初めて食べたときは、シンプルな味に少ない具でとても物足りなく感じたものだが、だんだんと美味しく感じるようになった。
一味足りない料理というのは、あまり飽きないのかもしれない。
ところで昔学校の給食で出てきたカレーや汁物は、どうやったら作れるのだろうか。家庭の味でもないし、店の味でもない、まさに給食ならではの美味しさだった気がする。大学の学食とも違う。しかも毎日はずれがない。ビンに入った牛乳さえ、自分の家で飲むパックの牛乳よりおいしく感じた。
などということを考えた一日。

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